日本の伝統芸能である【能】は「世界最古の演劇」と言われていることを知っていますか?
実は、能には約650年以上の歴史があるのです。
今回は、そんな【能の歴史】を深掘りしていきます。
「外国人の接待に、日本らしい何かを用意したい」「海外の人との会話で、何か面白いものを提供したい」という人も、ぜひ能の歴史をチェックしてみてください。
能の歴史はいつから?中国の芸能が源流?
それでは、能のはじまりを見ていきましょう。
能とは|世界最古の演劇?
まず、能とはどのような芸能なのでしょうか?
能は、日本で650年以上も受け継がれている伝統芸能です。
この歴史の長さから「世界最古の演劇」とも呼ばれています。
能は、古典演劇の代表格として有名なシェイクスピア演劇より200年以上も歴史があるのです。
世界的に見ても歴史が深い演劇である能は、楽器の演奏に歌やセリフを合わせて演じられる歌舞劇であり、役者は「能面」という仮面をつけて演じます。
「能」というと、真っ先にこの能面をつけた役者を思い浮かべる人も多いでしょう。
能面を着けているため表情での演技ではなく、様式化された動きで感情を表して演じます。
奈良時代に源流の「散楽」が広まる
歌舞劇である【能の源流】は、奈良時代に中国から伝わった「散楽(さんがく)」だと言われています。
散楽とは「散=正式ではない、雑多な」「楽=楽器をつかった音曲」といった要素のある芸能で、アクロバットやマジック、人形劇といったものもありました。
この散楽は庶民を含め、広く浸透していきます。
平安時代に歌舞メインのスタイルへ
散楽は、平安時代に入ると「猿楽(さるがく)」へと進化。
猿楽とは物まねや寸劇などを入れた芸能で、この猿楽を演じる集団「猿楽座」が多く出現しました。
さらに猿楽が発展していく中で「仮面」が使われるようになり、歌舞も融合したかたちの【能】が生み出されます。
仮面をつかう芸能が生まれたのには、以下の背景がありました。
「神社の祭礼や京都・奈良の大寺院での新年を迎える法会(修正会・修二会)において盛んに演じられるようになっていった。そしてこのような環境の変化が、猿楽に新たな展開を促す契機となる。すなわち、寺院の法会で行われていた追儺の行事(節分の鬼追い)の影響を受け、「福は内、鬼は外」を劇化した、全く新しいタイプの仮面芸能を生み出したのである。」
(引用元:能の歴史 (nohgaku.or.jp))
つまり、節分の前進にあたる行事「追儺(ついな)」を通して、猿楽に仮面をつかった芸能が取り入れられるようになったのです。
そして、このあとに登場する「世阿弥(ぜあみ)」という人物によって、現代までつづく【能】が確立されることとなります。
世阿弥(ぜあみ)による能の確立
現代につづく能が確立したのは、室町時代。
「世阿弥(ぜあみ)」という能役者によって確立したと言われています。
それでは世阿弥によってどのように能が確立されたのか、そして継承されてきたのかを見ていきましょう。
父の観阿弥から受け継ぎ、能を大成する
能を確立させた世阿弥の父に「観阿弥(かんあみ)」という能役者がいました。
父の観阿弥は、中世の流行であった「曲舞(くせまい)」なども取り入れながら、能の芸術性を高めた人物でもありました。
この父が作り出した能を、世阿弥はさらに洗練されたものへと進化させ現代につづく【能】を大成させたのです。
世阿弥によって大成された能は、約650年以上も受け継がれる伝統芸能となります。
甥や婿たちによって受け継がれる
世阿弥の能は、世阿弥の甥である「音阿弥(おんあみ)」や娘婿の「金春禅竹(こんぱるぜんちく)」によって受け継がれました。
甥の音阿弥は演技の上手さに定評があり、娘婿の金春禅竹は創作の才があったと言われています。
しかし、間もなくして起こった「応仁の乱(1467年〜1477年)」によって世の中は荒れ、人々は娯楽を楽しむ余裕を失ってしまいました。
これにより、能は早くも衰退の危機に直面してしまいます。
そんな時に能を救ったのが、歴史に名を残した数々の武将をはじめとする幕府や武家の存在でした。
将軍たちに愛された能
能は将軍たちに愛され、援助を受けることで消滅を逃れました。
能を支援した将軍の中には、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった有名武将もいたそうです。
中でも豊臣秀吉は能役者へ領地を与えたほか、自分でも能を舞ったことで知られています。
有名武将たちも虜にした能は武家の芸能として浸透し、能を観劇する場は【武士の社交場】ともされていたそう。
こうして能は人気を高めながら、明治時代まで受け継がれていきます。
明治時代~戦後の能|衰退と復興
能は武家から援助を受け発展していきましたが、明治時代に入ると風向きが少しずつ変わりはじめます。
明治維新によって幕藩体制が廃止され、支援者であった将軍たちを失ってしまうのです。
これにより、能は再び衰退の危機に直面します。
皇室や貴族によって、能が守られる
明治時代に、能を衰退の危機から救ったのは皇室をはじめとした貴族たちでした。
これは西洋と交流が始まったことにより、海外の芸術に対する保護政策に影響を受け、貴族たちが自国の伝統芸能の重要性を見直したためです。
当時、多数の能役者たちは能の人気低迷の影響を受けて廃業に追い込まれていましたが、貴族からの支援を受けて復興へと歩みを進めはじめます。
また、この時期に【能の上演場所】にも変化が起こりました。
「能楽堂」という屋内の能舞台が出現したことで、それまで屋外で演じられることが多かった能が、屋内での公演が主流へと変化したのです。
屋内の能楽堂で公演されるスタイルは現代でも主流であり、明治時代に現代における能のスタイルができあがったとも言えます。
戦後に再び衰退の危機
能は、貴族たちの支援もあって衰退を逃れましたが、戦後はその支援者であった貴族たちも失うこととなります。
これは、貴族階級であった「華族」「士族」の制度が廃止されたためです。
そして戦争によって、数々の能舞台も焼失してしまいます。
支援者を失い、演じる場所も失ってしまった能は、またも衰退の危機に直面しました。
ここから能文化が復興し現代へ受け継がれてきたのは、能楽協会をはじめとした多くの人の尽力があったため。
こうして戦後の厳しい時代も能の文化を受け継ぐことに成功し、現代に至ります。
現代の能とは
戦後は勢いを失いかけた能の文化ですが、数々の人たちの努力が実を結び、現代まで受け継がれてきました。
それでは、現代における能がどのような立ち位置にあるのかを見ていきましょう。
能は世界無形文化遺産へ
2008年、能は「世界無形文化遺産」に指定されました。
これは能が「この文化を保護して受け継いでいきたい」と、世界的に認められた証とも言えるでしょう。
同時に、世界無形文化遺産に登録されるということは、能が時代の流れによって衰退や消滅の可能性がある伝統文化だとも言えます。
というのも、世界無形文化遺産とは
「グローバリゼーションの進展や社会の変容などに伴い、無形文化遺産に衰退や消滅などの脅威がもたらされるとの認識から、無形文化遺産の保護を目的として、2003年のユネスコ総会において採択された。」
(引用元:「無形文化遺産 | 文化庁 bunka.go.jp」)
という意味をもつからです。
つまり能は、世界に誇れる日本の伝統芸能であるとともに、意識的に守っていかなければいけない存在とも言えます。
西洋を中心に海外公演も行われる
世界からも伝統性が認められた能は、西洋をはじめ海外でも公演されています。
公演を行った国はイタリア、フランス、アメリカなどがありますが、デンマークの「国際シェイクスピア祭」で上演を行ったという実績も。
国際シェイクスピア祭りは、シェイクスピアの戯曲【ハムレット】の舞台であるクロンボー城で行われる行事で、そこで能を観劇した海外の人々からは「革新的」と称賛されました。
現代演劇とは違う、能のゆったりとしたセリフ・音楽、役者が仮面をつけるという演出や神秘性が海外の人々に魅力的に映ったようです。
言語の壁を越え、文化の違う外国でも評価されることを受け、能の芸術性や素晴らしさを再認識することができますね。
将軍や貴族、そして世界からも愛される【能】
【世界最古の演劇】と言われる、能。
世界遺産にも登録されるなど、海外からも「受け継いでいきたい」と認められた伝統芸能を私たちも守っていきたいですね。
能の歴史を知る中で興味が湧いた方は、実際に観劇してみるのもいいでしょう。
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▼参考サイト
公益社団法人 能楽協会 公式サイト (nohgaku.or.jp)
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